河合塾美術研究所出身で、さまざまな領域で活躍されている、先輩方からのメッセージです。
美術・デザインを学び、どのような仕事や活動をしているのか?受験時代の思い出は?
一人ひとりの生き方が“作品”のように魅力的なものです。
油絵専攻
アーティスト
川角 岳大 さん
日本画専攻
東京芸術大学教育研究助手
古山 結 さん
彫刻専攻
沖縄県立芸術大学 彫刻専攻 助教
中島 聖二郎 さん
世界が大きく広がっていく自由な感覚を覚えました。
僕は現在、山奥の畑のある家でその日食べる野菜を育て、肉や魚も季節に合わせながら自分で獲ってきて食べるという生活をしています。その合間の時間で毎日少しずつ作品もつくったりしています。こんな生活を今の自分がしている想像は、高校生の僕の頭の中にはひとつもありませんでした。
ある授業の日に先生が自分の持っている画集の中からいくつか持ってきて、それをみんなで見るという日がありました。英語で書かれた文字は読めなかったけれど、まったく意味のわからないその本はとてもかっこよく見えて、そこに載っていた作品たちにとても魅力を感じました。そのわからないけれど美しいものたちに惹かれ、理解できない謎があることに、世界が大きく広がっていく自由な感覚を覚えました。
そんな風に触れた当時の先生の言葉や同級生の作品たち、通学路で考えたことすべてが新鮮で、頭の中に初めての疑問が現れることにわくわくする日々でした。そのときに気づいた興味やちょっとした癖、それらが形を変えて、少しずつ関係しながらいつの間にか今の暮らしになっていました。でも高校生の自分はそんな癖や興味を目に見える形で表現することに抵抗があって、避けたり見て見ぬふりをしたりしていました。今となっては、それをそのままキャンバスに表してやれば良かったんだなと思うけれど、それができるまでに、僕の場合は時間も経験もまだまだ必要でした。
人それぞれ必要な道筋や時間は違うと思います。今はまだ表すことが難しくても時間がたてば適当に何かに変化していくから、今はその小っ恥ずかしいけどわくわくする小さな興味をできる限りいっぱいに広げておく。後々になればそれを拾う機会があるんだと思います。そしたらきっと知らないうちに思いもよらない場所にたどりついたりするのかもしれません。
東京芸術大学 大学院美術研究科油画専攻修士課程修了
2008年度 基礎高1・2年専科/2009年度 油絵日曜専科/2010年度 油絵専科
旭丘高校出身
糸口を見つけて門戸を叩いていく姿勢を、河合塾で学ばせていただいたように感じています。
河合塾では浪人の2年間と、高校3年生の後期にお世話になりました。現在は、出身大学で教育研究助手をしながら、作品制作・発表を行っています。
私は高校入学時に、美術科のある高校への進学を決めましたが、その時点で、大学進学やその後の展望について明確に考えられていたかとういうと、そんなことはありませんでした。美術は、職業として成立しづらい側面を持っていますし、当時は作品を売って生きていくことなど想像できていませんでした。
大学への進学は、制作に打ち込む時間の確保を筆頭に、さまざまな面で現在の活動への足がかりとなりました。なかでも制作への刺激や美術を取り巻く環境に関する知識を得る機会を持ったということは、大きな手助けだったと思います。「作品をつくりたい」と思っている人たち(クラスメイトや教授、先輩など)と、「作品を広めたい」と考えている人たち(ギャラリストや学芸員など)、そのどちらともかかわりを持てる場は貴重でした。授業や制作のみならず、大学生活で起こることすべてが学びの対象でした。
浪人当時の河合塾の授業は、受験対策に必須なものだけでなく、対象への多角的な視点を育むための実技演習や、作家研究、時には外へ飛び出して、美術館見学などの課外授業、団体でのスポーツ大会やキャンプなども行っていました。そういった、一見不要に見える活動の中で、「絵を描くことの周り」について、認識を深めていったような気がします。
大学進学・卒業後、社会で得られるさまざまな機会は、必ずしも誰かから提供、供給されるものではありません。それでも、何か糸口を見つけて門戸を叩いていく姿勢のようなものを、河合塾での浪人時代に学ばせていただいたように感じています。
1.「往来」2023/51×69cm/岩絵具・水干絵具・膠・雲肌麻紙・木製パネル
2.「また萌ゆ」2023/130.5×162.5cm/岩絵具・水干絵具・膠・下地材(μグラウンド)・木製パネル
3.「murmur」2023/72.5×72.5cm/岩絵具・水干絵具・膠・下地材(μグラウンド)・木製パネル
4.「ここから先は あなたの庭」2023/19×30.4cm/岩絵具・水干絵具・膠・下地材(μグラウンド)・木製パネル
5.「予感が始まる」2023/10.2×18.5cm/岩絵具・水干絵具・膠・下地材(μグラウンド)・木製パネル・クレヨン
6.「枝が降る」2023/41.2×33.5cm/岩絵具・水干絵具・膠・下地材(μグラウンド)・木製パネル・繰形
東京芸術大学 大学院美術研究科美術専攻日本画領域博士後期課程修了
2010-2011年度 日本画本科
東邦高校出身
ものづくりの楽しさを感じました。
私は小さなころからものをつくることが好きで、時間があれば常に何かをつくっていました。
河合塾に入塾してからは、日曜日がくるのが楽しみで毎週ウキウキした気持ちで通っていました。
中学3年生になり美術高校への進学を迷いましたが、「楽しい」という気持ちだけで美術を続けていけるのか不安になり、普通科の高校へ進学しました。しかし、美術(ものをつくる)の楽しさを忘れることができず、基礎高1・2年クラスへ入塾しました。そこで、日本画、油画、彫刻、デザインを一通り経験し、今までデッサンや色彩構成しか経験していなかった私にとってどれもが新鮮でとても楽しかったのを覚えています。
その中で一番楽しかったのが彫刻でした。
高校3年生になり、美大に進学することを決意し彫刻専科に進みました。
が、、、そこで待ち構えていたのは、自分のデッサン力の無さでした。それまでは「楽しい」の気持ちだけで行ってきた制作が「受験、試験」という「楽しい」の気持ちだけではどうにもできない壁にぶち当たりました。自分とは比べ物にならない程のデッサン力のある先輩や同級生に囲まれ、デッサンコンクールではいつも最下位。
それでもあきらめずに続けられたのはともに頑張った同級生や楽しく指導してくださった先生方のおかげです。
いよいよ受験、そして結果は惨敗。
浪人をすることができなかったため、滑り止めで受かっていた名古屋造形大学に進学することになりました。大学入学後は夜遅くまで大学に残り制作に励みました。卒業後は沖縄県立芸術大学の大学院に進学しました。
慣れない土地での制作活動はまるで河合塾で初めて彫刻を経験したときのように楽しく、改めてものづくりの楽しさを感じました。その気持ちを糧に大学院では国内はもちろん、海外の展覧会にも積極的に参加し、その成果が認められ、沖縄県立芸術大学の教育補助専門員として勤めさせていただきました。また、専門員期間中も積極的に個展やグループ展に参加し、今は同大学の助教を務めております。
河合塾では、デッサンなどの技術はもちろん、どんなところでも制作を続けていけるようなハングリー精神も学べたと思っています。
苦労はありましたが、河合塾で学んだことは今の自分にとってとても実のあるものでした。
沖縄県立芸術大学造形芸術研究科 環境造形専攻 彫刻専修修了
名古屋造形大学造形学部造形学科 彫刻コース卒業
2009-2010年度 基礎高1・2年専科/2011年度 彫刻専科
北高校出身
デザイン・工芸専攻
コクヨ株式会社 インハウスデザイナー
岡 真奈美 さん
デザイン・工芸専攻
文化学園大学 金工研究室 助教、彫金作家、ジュエリーデザイナー
水谷 奈央 さん
美術総合・京都市芸大専攻
住宅設備メーカー 広告クリエイティブ職
浅野 未華 さん
将来の土台になると思います。
大学ではデザインのやり方や方法論を学ぶというよりは、いろんな人の作品はもちろん、考え方やものの見方、生き方を学んだというのに近かったです。
みんな自分の世界を持っていておもしろい人たちばかりでした。その人たちに出会うためだけでも美大に行く価値はあると思います。
大学を卒業して社会に出て、ありがたいことにデザイナーとして仕事をしていますが、やっていることや考えていることの根本は受験生として課題に向き合っていた頃とあまり変わらないなと感じます。
今やっていることが必ず将来の土台になると思うので、受験勉強だと思わずに取り組んでみてください。例えば参考作品を見るのも大事ですが、世にあるデザインや作品をたくさん見たり実際に体験する機会をもっと増やしてみてください。そして自分の好きだと思えるものを追求してください。
苦しい日々だとは思いますが、応援しています。
1.学生時代の作品「都市copy and paste」都市をパターンに見立てたグラフィック作品
2.学生時代の作品「Trash▷Jewel」ゴミを宝石にできないか?という仮説から始めた実験作品
3.学生時代の作品「ma.」「ぼんやり過ごす時間」を生み出すオブジェ群
東京芸術大学 デザイン科卒業
2014年度 デザイン・工芸日曜専科/2015年度 デザイン・工芸本科
桑名高校出身
表現において一番大切な基礎を学びました。
河合塾で過ごした2年半は私にとっての原点です。私は現在、大学で教員をしながら作家活動をしています。好きなことを仕事にすることは大変な道のりです。自分の弱さと向き合って、受験を乗り越えたことが自信になり、今の私を支えています。ものの捉え方や考え方、感じ方など、表現において一番大切な基礎を河合塾時代に学びました。現在の仕事においても迷い悩んでしまったときは、受験期に先生方に教えていただいことや当時の気持ちを思い出し、初心にかえることがあります。
今思い返してみると、10代の感受性豊かな時期に一つのことに没頭できたことは、とても贅沢なかけがえのない時間であり、そんな環境に身をおけたことに感謝しています。受験では自分に向き合い、自分の強みに気づき、力を出し切ることが大切です。これは大学受験だけでなく、その先の人生においても必要なことです。
投げ出したくなったり、描くことが嫌いになったりすることがあると思います。受験生の皆さんは今とても辛いと思いますが、自分の夢に向かって悔いのないように乗り越えてほしいです。応援しています。
東京芸術大学 美術研究科工芸專攻彫金研究室修了
2007年度 基礎高1・2年専科/2008年度 デザイン・工芸平日専科/2009年度 デザイン・工芸本科
瑞陵高校出身
卒業制作の経験が大きな自信につながりました。
幼い頃から絵を描いたり物づくりをしたりすることが好きで、将来はそのようなクリエイティブな仕事がしたいと思い美大を志しました。志の第一歩として入った河合塾は、美術の基礎を学びながら自分とじっくり向き合える場でした。
大学入学後はビジュアルデザイン専攻に進み、非常に幅広いデザインの課題に取り組みました。卒業制作では、地元の伝統工業を使ったブランドづくりに挑戦しましたが、現地への取材、コンセプト立案、プロダクト・ビジュアル制作を一貫して行った経験は自分の中で大きな自信につながりました。制作に取り組む中で、「人の暮らしを豊かにできるデザイン」がしたいと思うようになりました。このような背景があり、現在は人の暮らしに欠かせない住宅にかかわる会社で、広告制作のディレクションをする仕事をしています。自社製品のコンセプトや想いを背負いユーザーに伝える仕事は、大学でのデザインの経験が役立っていると感じています。
のびのびと制作できるようサポートしてくださった先生、切磋琢磨した友人たちと過ごした時間はかけがえのないものです。
京都市立芸術大学 ビジュアルデザイン専攻卒業
2018年度 総合本科
桑名高校出身
メディア映像専攻
CGアニメーター
坂野 友軌 さん
油絵専攻
Art Space & Cafe Barrack 店主・美術家
近藤 佳那子 さん
日本画専攻
日本画家・武蔵野美術大学 日本画学科 教授・金沢美術工芸大学 非常勤講師・日展会員
岩田 壮平 さん
今の自分を支えるもの
この半年くらいは自主制作しかしておらず、CGアニメーターを名乗ってよいのか怪しくなってきました。仕事には仕事なりの辛さがありますし、自主制作もまたしかりです。自分が選んだ人生を後悔した回数は数え切れませんが、それでも、個人作品の画像や、関わった商業作品のタイトルを見直していると、今の自分が、今まで作ってきたものに支えられていることに気づかされます。
何かに打ち込むことは、その結果に関わらず、後の自分を支えてくれるものと思います。今のところ、作ることをやめる予定はありません。
CGアニメーターとしての参加作品
・TVアニメ『TRIGUN STAMPEDE』1話、6話、最終話
・TVアニメ『BEASTARS』22話、24話
・TVアニメ『宝石の国』3話、10話
など
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◆YouTube:youtube.com/c/beadschain
◆Website:bannoyuki.com
武蔵野美術大学 映像学科卒業
2008年度 高校グリーンコース生、河合塾美術研究所冬期・直前講習受講
明和高校出身
繰り返し、選ぶこと。
私は現在ペインターとして活動すると同時に、同じくペインターの古畑大気さんと元電器屋を改装し、カフェとギャラリーが一つになったスペース「Barrack(バラック)」を運営しています。
自分の制作をする一方で、週の半分は自分でご飯や飲み物を出すカフェスペースと月ごとに作家を紹介するギャラリースペースを運営して生きています。また、食や音楽のイベントを企画したりBarrackというユニットとして全国のアートイベントやプロジェクトにも参加する他、スペースのある瀬戸市にてゆかりの作家たちと共に「瀬戸現代美術展」という3年に一度開催される芸術祭も主催しています。
一人きりじゃないとつくれないものと、誰かとでなければつくれないもの、種類の違うそのどちらの喜びも他では得難く生きていくうえで必要であり、その間を繰り返し行ったり来たりする中で、こういうものが私にとっての美術であるとだんだんわかってきた今日この頃です。
そして、振り返るとそういう今の在りようの源流には、予備校時代、「絵と私」という関係にどっぷりと浸かったこと、同時にその孤独を共有し同じ時間を過ごした同級生や先生に当たり前のように自分を肯定してもらった体験があると感じます。
千種のあのアトリエで、今がどういう未来につながるのかもわからずに絵を描いていた日々も、振り返ると今日のこの日につながっていたんだ、と感じる瞬間がたくさんあって、そういう経験が未知なものを選んでいく私を少しだけ支えて、この先もそんな瞬間をつくるために、一生懸命自分にとっておもしろいと思うこと、美術だと実感できることをやっているつもりです。
うまくいくことも、いかないことも、その時々でいくつも起きますが、せめて自分がよいと思えることを選んで繰り返し続けていくことが大事なのかな、と思います。
愛知県立芸術大学 油画専攻卒業
2005年度 油絵日曜専科/2006-2007年度 油絵本科
桑名高校出身
目の前のことが好きで一生懸命になれたら、ちゃんと自らの道は開かれる。
はじめまして、岩田壮平です。現在、作家活動と大学の教員をしています。河合塾で学んでいた当時、高校3年生でしたが、私は絵を描き始めたのが高校2年生の冬期だったか3年になる春期だったかの講習からでした。受験生のときは専科で学びましたが、たくさんいる周りの仲間に比べ私は絵が下手くそで、にも関わらず負けん気だけは強かったように思います。
東京芸大も愛知芸大も多摩美大・武蔵野美大も受験しましたが落ちてしまいました。ただ唯一、金沢美大に合格し、悦び勇んで金沢での大学生活が始まったわけです。
大学在学時代は土地柄もあり、古美術や美術工芸が当たり前のように身近にありました。しかし大学での制作に至っては、それよりも海に潜ったり釣りや投網に凝ったり冬はスキーばかりをしていました。大学は実技の授業のほかに学科の授業もありましたが、ほぼ遊んでいた思い出しか…ありません。
大学時代、制作に関してもちろん何も描いていなかったわけではなく、絵を描くことは好きだったので、気が向いた時間に好きなものを描いていました。
最近の大学の授業は、どこもしっかりと先生が教室を周り、学生とコミュニケーションをはかりつつ指導をしてゆくのが当たり前となりましたが当時は、先生方も緩やかであまり指導らしい指導をするというよりも、先生と生徒が一緒になって遊んでいたように思います。日々、先生と一緒に釣りをしたり、ときにご飯を奢ってもらいながら、互いに他愛もない話をする毎日がそこにはありました。
そのような中でのある日の会話のやり取りが一つ。先生と一緒にご飯を食べながら、こう尋ねたことがありました。
「私は大学を卒業したあと、作家になることはできるのでしょうか?」と。
そんな漠然としたことをふと先生に聞きました。その応えは、
「そんなこと、私にはわからない。わからんが、神様がお前に絵を描き続ける道を授けるのならば、ちゃんとその道に進むだろう。が、しかし神様がお前にそれ以外の道でもっと素晴らしい道がある。そちらへ進む方が幸せだ。とご判断されたら、きっと自然にそちらへ進んで行くだろう。だから、そんなことを考えるよりも描くことが好きだったら、いまは一生懸命それをやるしかないだろう」と、…。
他にも先生との対話はあるのですが、その中でもとくに印象深く、このときの言葉はいまもなお事あるごとに思い出されます。悲しいとき、嬉しいときも、その言葉を思い出しては、「大丈夫!自分はきっとこれで大丈夫」と、言いながら自らに起こるできごとを受け止めつつ今までやってきたように思います。
現在、大学で教員をしていますが、学生達と接するたびにさまざまな将来の不安と悩みを聞きます。その都度にこのエピソードを交えて伝えています。
“先のことは確かにわからない、でも大丈夫!いまどんなに劣勢で不安があっても、幸せ過ぎてかえって不安になっても、なんにも無いから不安であっても、大丈夫。きっと、目の前のことが好きで一生懸命になれたら、ちゃんと自らの道は開かれる” ってね。
1.『草本花卉墨畫』第9回改組新日展より
2.『何も見えない』第7回改組新日展より
3.『花泥棒ー雪月花時最憶君』第6回東山魁夷記念日経日本画大賞展より
4.『flower's spirit』
5.REALISM 現代の写実ー映像を超えて 東京都美術館より
金沢美術工芸大学 大学院美術工芸研究科絵画専攻修士課程修了
1995年度 日本画専科
緑高校出身
彫刻専攻
彫刻家
西村 卓 さん
デザイン・工芸専攻
インハウスデザイナー
吉田 昇 さん
デザイン・工芸専攻
株式会社ファイブフォックス ビジュアル担当
岡 つくし さん
作家活動の芯となった河合塾。
僕が美大へ進学しようと決めたのは、高校2年生の春でした。高校は普通科しかなく、デッサンすらしたことがありませんでした。美大をめざしたきっかけは「ノートの端っこに描いた落書きを前の席の友達に褒められたから」。その小さな喜びを胸に飛び込んだ美大への道は、僕にとって先の見えない険しい道のりでした。
入塾してすぐに僕はとても不器用で、壊滅的にデッサン力がないことを思い知りました。
何度思い返しても、本当にできの悪い生徒だったと思います。
基礎科ではうまく描ける周囲を見ては落ち込んでしまう日々でした。そんなときに先生のすすめで、彫刻科の体験授業を受講しました。生まれて初めて実際に生きているニワトリを前に彫刻をつくり、身体全体を使って造形する楽しさや喜びに衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。直感的に彫刻科しかないと感じました。
3年生になり、意気揚々と彫刻科へ進んだのですが、僕の壊滅的なデッサン力は相変わらずでした。コンクールでは常にビリ、その年の受験はすべて不合格。
浪人生になっても全然うまくいかず、万年ビリでした。それでも続けられたのは、先生方の厳しくも愛にあふれるご指導のおかげです。
なんとか多摩美大に合格し、同大学院へ進学しました。
在学中はとにかく作品制作に打ち込み、同時に学外での個展やグループ展を精力的に開催しました。その活動を認めてもらい、同大学の助手も務めさせていただきました。
今は小さなアトリエを構え、彫刻家として作品発表のほか、ワークショップやさまざまなジャンルの方や企業とのコラボレーションなど領域を横断しながら活動しています。
最後の最後まであきらめないこと、本気で作品と向き合うこと、作品に責任を持つこと、自分の作品を愛すること、自分が自分らしくあること。
河合塾で教わったことは、今の作家活動の芯となって今も僕を支えてくれています。
多摩美術大学 大学院美術研究科彫刻専攻前期博士課程(修士課程)修了
多摩美術大学 彫刻学科卒業
2007年度 基礎高1・2年専科/2008年度 彫刻専科/2009年度 彫刻本科
南山高校(男子部)出身
好きなことをして生きていたい。
今の仕事に就いた一番根っこにある理由は、好きなことをして生きていたい、という単純な気持ち。河合塾で日々の制作に取り組む中で、自分が大切に感じるものが表現の手前にあるコンセプトにあるらしい、と気がつきました。毎日、自分の1歩2歩先にいる同期や先輩方の作品に触れ、憧れのデザイナーの仕事を知り、先生方の言葉を聞き……。刺激と学びは尽きませんでした。常に悩み、悔しい気持ちも抱える日々でしたが、日ごとに自身が更新されるあの生活と環境は、かけがえのないものでした。
今、デザインを仕事にしています。実は、それは当時描いていたデザイナーという職業像からは違った姿なのですが、自分が大切にしていることは変わっていなかったりします。そういうものを見つけられたおかげで、今のところ、好きなことをして生きていられています。これからもそうありたいと思います。
金沢美術工芸大学 視覚デザイン専攻卒業
2014年度 デザイン・工芸本科
岐阜工業高校出身
経験が今の自分をつくって支えてくれています。
私は東京芸術大学を卒業し、現在はアパレルのビジュアル面でのデザインなどの仕事をしています。ウィンドウのデザイン、用材制作、店舗の内装などを行っていて、受験のときに学んだことや、大学での経験がとても生きています。
現在受験生の皆さんにお伝えできることは、今やっていることは将来必ず役に立つし、自分の武器になるということです。
私は受験生時代、友達に恵まれていたので浪人中もみんなで楽しく制作していました。それでも周りと比べて自分ができていないことや、頑張っても報われないときはしんどくて泣いたこともたくさんありました。そういうときはいろんな展示会や、好きな空間にいったり、自分が好きなものを見つけることをして切り替えていました。
そして、今までの自分の考えを改めて、自分ができていないことを認めて、上位にいる人の作品と見比べて何が足りなかったかをきちんと向き合うようにしました。分からないことや、なんで良くなかったのかはちゃんと先生に質問したり、先輩に聞いたりしました。そうするとこれまでの作品と変わって自分でも分かるくらい上達するようになったのを今でも覚えています。その頃にした経験が今の自分をつくっていて支えてくれています。今できることを精一杯やって将来の自分のために頑張ってください。
東京芸術大学 工芸科卒業
2012-2013年度 基礎高1・2年専科/2014年度 デザイン・工芸平日専科/2015-2016年度 デザイン・工芸本科
日進西高校出身
美術総合・京都市芸大専攻
CMFGデザイナー
土屋 さおり さん
油絵専攻
美術家
碓井 ゆい さん
日本画専攻
画家
阪本 トクロウ さん
私ならではの強み。
昔から絵を描いたり物づくりをすることは好きでしたが、高校生の頃テレビで見かけたレーシングカーのグラフィックに憧れたことがデザイナーを志すきっかけでした。
高校生の頃から自分の興味を持ったデザイン分野がプロダクトデザインであることはわかっていましたが、さまざまなデザイン分野を学んでからプロダクト・デザイン専攻に分かれるカリキュラムに惹かれて京都市立芸術大学デザイン科に進学しました。
大学入学後は興味の赴くままたくさんのデザイン分野に挑戦し、中でもファッションデザインに夢中になりました。
コンセプトを考えデザイン画から型紙を製図し生地の質感や色を選び服に仕立てあげる作業は、立体と平面を行き来する中でしか生まれない魅力があり、卒業制作でもファッションデザインを行いました。
そして、ファッションデザインやプロダクトデザインの課題を通して、自分のデザインは常に「誰かを幸せにすること」を第一に考えていることに気づきました。
「誰かを幸せにするデザイン」を達成するために趣味性の強いプロダクトのデザインをしたいと考え、現在はバイクや自転車のCMFGデザイナーとして働いています。乗り物の色や素材、グラフィックのデザインをしていく作業は、ファッションデザインで行った立体と平面を行き来するデザインの経験が役に立っていると感じています。
プロダクト・デザイン専攻に在籍しながら行ったファッションデザインの経験は他のCMFGデザイナーが持っていない私ならではの強みとなりました。
分野にとらわれずさまざまな分野のデザインに自由に挑戦できた大学の環境、先生方にはとても感謝しています。
京都市立芸術大学 プロダクト・デザイン専攻卒業
2014年度 基礎高1・2年専科/2015年度 京都市芸大専科
桜台高校出身
良い作品が出来たときの喜びは何ものにも変え難い
中学生の頃から漠然と、美術大学に行きたい、と考えるようになり、高校一年生のときに日曜日の基礎専攻に通い始め、その後油絵科で一浪して合格するまでお世話になりました。
毎日の課題と指導してくださった先生方のことだけではなく、仲の良い友人と廊下に座り込んで喋ったり、海外の展覧会を見てきた講師の先生に話を聞いたりと、色んな思い出があります。
あの頃は日々一枚の画面を仕上げることで精一杯で、でもとても楽しかったように記憶しています。
今は、受験、という目標がある上での制作ではあると思います。でも、鉛筆と木炭どちらが好きか、油絵具をどう画面に乗せていけば伝わるのか、など、手と素材を通して考えたり発見したりするいう点では、受験以降の作品制作と同じことを、もう始めていると言えると思います。
もちろん楽しいだけではなく、ときにはもどかしく苦しいこともあると思いますが、良い作品が出来たときの喜びは何ものにも変え難いはずです。
受験生のみなさん、頑張って下さい。
東京都立国立高校卒業
多摩美術大学美術学部絵画学科卒業
京都市立芸術大学大学院美術研究科修了
今の仕事について
現在生きているこの世界を私たちはどのように見ているのか? という視点、眺め。現在生きている世界の感触、空気。そういったものを作品化しています。その作品をギャラリーで発表し、作品を売ってもらい生活しています。普段はアトリエで制作し、たまに展覧会を観に行ったり、取材に出かけたりします。
今に至る経緯
大学を出てからは、画家のアシスタントをしながらギャラリーを借りて発表していました。コンクールなどにもいくつか出品しました。アシスタントをさせてもらっていた画家の方からギャラリーを紹介してもらったり、個展を観に来てくれて作品を気に入ってくれたギャラリストの方の誘いを受け、展示をさせてもらったりしています。大学に行くと色々な作家とつながりが持てます。そのつながりで作家活動ができているとも思っています。
河合塾時代
浪人中は休みなく描いていましたが、目標も明確でとても濃密で充実していた時間でした。うまくいかず停滞していた時は辛かったですが、夏期講習の終わりくらいに色々とかみ合って飛躍的に上達した成功体験は、現在の制作にも良い経験になっています。予備校では講師との距離が近く、美術作家としての、ものの見方や考え方により実感をもって接することができたのも良かったです。コンクールなどで1番から最下位まで順位を付けてしまうようなことも好きで高揚していましたね。コンクールはなんとか1番になりたいなぁと思っていました(でも、一度も1番にはなれなかった…)。
受験生へのメッセージ
作品のうまくいっていないマイナス面を改善しても、合格するのは難しいのではないかと思っています。自分の絵の良いところを見つけてそれを伸ばすほうが効果的だと思います。作品のどこを観てほしいかという魅力的なものを作るということと、何より一番大事なのは自信を持つことでしょう。得意なものを伸ばして得意技にして、その得意技で勝つというのが近道だと思います。(講師の先生に色が汚いとか、形が悪いとか、構図が悪いとか…色々言われると思いますが、それもきちんと聞いておきましょう。ある瞬間に急に理解できて役に立つことでしょう。)
1999 東京芸術大学卒業
2001 早見芸術学園日本画塾卒業
2005 大木記念美術家助成基金成果発表展(山梨県立美術館)
2006 第3回東山魁夷記念日経日本画大賞展(ニューオータニ美術館)
2007 東京コンテンポラリーアートフェア(東京美術倶楽部)
2007 ART Shanghai2007(上海世貿商城)
2008 VOCA2008(上野の森美術館)
2009 アートフェア東京(東京国際フォーラム)
彫刻専攻
彫刻家
保井 智貴 さん
デザイン・工芸専攻
画家
池田 学 さん
先端芸術表現専攻
アーティスト/映像作家
石原 海 さん
今の仕事について
私の仕事は、アーティストとして彫刻を制作して、ギャラリーや美術館などで展示をしています。私の作品は、静謐な空間をイメージして、乾漆という日本古来の伝統的な技法で、漆、麻布、石、螺鈿などの自然素材を中心に、人物や動物などをモチーフにして制作しています。
今に至る経緯
大学院の修了制作展で展示した作品がきっかけで、展覧会の企画や画商さんからの依頼があり、新作を制作し展覧会を行ったことで、私のアーティストとしての活動が始まりました。展覧会を重ねていくうちに、作品を通して、国内外の美術関係者、アートコレクターや一般の美術ファンとの出会いが増え、作品が売れ、いろいろなジャンルの方と仕事ができるようになり、アーティストとして認められるようになりました。
河合塾時代
河合塾時代は、美術を通していろいろなものを見たり、考えたり、自分のやりたいことを真剣に始めた時期でした。個性的な人たちがいる中で、自分なりの表現をするのが毎日新鮮でした。また、浪人時代は、受かるためという現実と、自己表現の理想の間に矛盾を感じ、とても悩んだ時期でもありました。20歳前後に、そういった経験ができたことで、今、社会の中で自分が表現したいことを続けていくための、大きな基盤が作れたと思っています。
受験生へのメッセージ
自分らしさを発見し、表現できるようになるには、たくさんの観察と、たくさんの失敗をしなくてはなりません。しかし、失敗をネガティブなことと捉えるのではなく、一つの発見として捉え、楽しめるようになれば、本当に自分らしい表現が見えてくると思います。
1974 ベルギー、アントワープ生まれ
2001 東京芸術大学大学院修士課程修了
2006 アート・イン・レジデンス The Jerusalem Center For The Visual Arts(エルサレム)、ポーラ美術振興財団より国際交流助成を受ける。
2005年に第34回中原悌二郎賞優秀賞受賞
受験生へのメッセージ
受験に限らず、目の前のいろいろな不安とか、どの時期にもあると思うけれど、今自分が作っている一枚の絵に集中することが一番大事で。いろいろ考えても先のことはわからない。はっきりわかっているのは、今作っている作品に魂を込めなければいけないってこと。ひとつひとつの作品に集中して、自分が凄くいい作品ができた、やった! と思えるかが一番大事だと思います。それは何においても自分が一番大事にしていることです。
東京芸術大学大学院 デザイン科 修了
1993年デザイン・工芸専攻 本科
県立佐賀北高校出身
死ぬ直前に河合塾を思い出すかもしれない
本当は映画が勉強したかったのだけど、とにかくお金がなかったので、映像制作が学べる国立大学を探していて先端科を見つけました。その経緯で現代美術と出会い、自分の中にコンセプチュアルな要素を大切にする文脈ができたので結果的には悪くなかったと思います。あとは伊藤俊治さんの本をよく読んでいて、この教授に学びたいなと思ったのも大きなきっかけでした。20世紀エロス、裸体の森へ、聖なる肉体、本のタイトルがまずかっこよすぎ。
映画からヴィデオインスタレーション、写真や執筆といったジャンルをまたいで作品制作をしながら、広告の仕事もしています。河合塾で学んでいたとき松田先生に「いつかはシャネルとかルイヴィトンの映像が撮りたい」って言ったら「そんなことは数年後にできるようになってるから、それよりも作品について考えろ!」とか適当なことを言われた記憶があるのですが、確かに数年後にシャネルとかルイヴィトンの映像を作ることができました。そしていまだに松田さんの言葉を胸に、広告とはかけ離れた作品制作も日々がんばって作っています。
死ぬ直前に河合塾を思い出すかもしれない、というくらいかなりインパクトのある経験でした。高校生の時はこの世に存在する大人、特に先生っていう存在をなんなら嫌悪していたのだけど、河合塾の先端の先生たちがそれを塗り替えてくれた。知らないことを人に教えてもらうということが最高なことだっていうのもこの場所で知りました。あと、新宿にあるから授業終わりに街をぷらぷらするのも楽しかった。いまでも河合塾での熱狂の一年が自分の人生の重要なところにあります。
アーティスト/映像作家
2012年 先端芸術表現専攻(在籍)
東京藝術大学 先端芸術表現科卒業
基礎専攻
株式会社TBWA\HAKUHODO
*博報堂から2019年現在出向中
梶川 裕太郎 さん
始めは“とりあえず”でもグラフィックデザイナーに!
絵は上手くないけど「なにかものづくりがしたい」という大雑把な目標から、高校2年の時に基礎専攻に通い始めました。基礎専攻の時は、グラフィックデザインから建築まで幅広いジャンルに主体的に触れることができたので、そのおかげで「グラフィックデザイナーになりたい」という一つの目標を持つことができました。美術の世界に行く人は、最初から大きな夢がある人とは限りません。とりあえずいろんなものに触れてみることで、自分の可能性を広げられる場所に出会えると思います。
東京・東京農業大学第一高校出身