河合塾美術研究所出身で、さまざまな領域で活躍されている、先輩方からのメッセージです。
美術・デザインを学び、どのような仕事や活動をしているのか?受験時代の思い出は?
一人ひとりの生き方が“作品”のように魅力的なものです。
油絵専攻
漆芸家
安藤 源一郎 さん
日本画専攻
株式会社MAPPA CGI部 背景美術
中村 圭菜穂 さん
彫刻専攻
彫刻家、金沢美術工芸大学石材加工機械室技術専門員
丹羽 啓 さん
経験したあらゆることが、現在の創作活動を支える財産となっています。
美大芸大を受験すると決めて、河合塾に通い始めましたが、はじめはすごく高い志があったわけではありませんでした。通い始めると、高校では学べないさまざまなことに触れられるので、それが新鮮でとても楽しい時間でした。外に出て成長し、自分の認識が広がりを持つ。そんな感覚が嬉しかったのです。
河合塾で学んだことは、受験対策や描くテクニックだけではなく、自分の作品をどのように表現するのか、何を追い求め、どうアプローチするのかということだったかと思いますし、自身で考える機会や時間も与えてもらっていたんだなと今では実感しています。また、ともに学ぶ仲間の存在も自分の成長には欠かせないものでした。現在よりも情報を得にくい時代でしたが、いろいろと調べては一緒に展覧会に出かけたり、授業後に何時間もしゃべったりしたことも、視野を広げ、学びを深いものにする経験でした。
私の地元は、古から紙漉きが行われていて、藤井達吉という近代工芸ではとても重要な作家が深くかかわったことで和紙の工芸が独自に発展しました。漆の分野には和紙で器の素地をつくる「紙胎」「一閑張」の伝統的な技法があり、家業もこれらの仕事をしています。若いときはこのような伝統的なものの良さがあまりわかりませんでしたが、工芸作品に宿る精神性やその美しさにだんだんと惹かれて、大学では油画を専攻したものの、大学院修了後は香川県に渡り、漆芸の道に進みました。一見回り道をしたように思えますが、かえってそれが自分の強みにもなっていますし、ものの捉え方や感じ方など、表現において最も重要なものは同じです。
こうして若いときに経験したあらゆることがとても貴重なもので、現在の創作活動を支える財産となっています。みなさんには積極的に挑戦できる場や時間があります。うまくいかないこともたくさんあると思いますが、成長できるチャンスでもあります。応援しています。
愛知県立芸術大学 大学院美術研究科油画専攻修了
1994年度 油絵本科
豊田北高校出身
自分の気持ちに素直に向き合い続けることで進むべき道が見えてくるはずです。
高校入学当初、私は美術の道に進むことは考えていませんでした。正直、勉強がおもしろくなく、授業が退屈で仕方がありませんでした。そんな中で、ふと絵を描くことに興味を持ち、美術に惹かれていきました。当時は勉強から逃避するために絵に向き合っていたのかもしれません。しかし、後になってその選択が自分にとって大切な一歩だったと感じるようになりました。
その後芸大をめざして河合塾に通い始め、ここで私の考えに大きな変化が起こりました。河合塾では、単に受験に合格するための技術を学ぶだけでなく、視野を広く持つことの大切さを教えていただきました。描く対象や作品に対して、多角的な視点からアプローチし、物事を広くとらえる考え方を学んだのです。この考え方が分かった時、自分の肩の力がふっと抜けた感覚は忘れられません。視野を広く持つことができるようになると、物事を客観的に見られるようになり、自信を持って絵が描けるようになりました。
大学進学後は、日々制作を重ねる中で、自分が描くものが誰かの心に残るものであってほしいという願いが強くなりました。私が描くものが、作品という誰かの特別な存在の一部になり、それがきっかけで感動や気づきを与えられるような、そんな仕事がしたいと思うようになったのです。その考えでたどり着いたのがアニメ制作の道でした。
現在、私はアニメ制作スタジオにて背景美術の仕事をしています。一人で作品をつくるのとは違い、多くのスタッフと共に一つの作品をつくり上げるというプロセスは、想像以上に楽しく、刺激的です。会社ではさまざまな人と意見を交換しながら、作品づくりに取り組めることが励みになります。スタッフ同士の交流や協力が、作品に良い影響を与え、さらに自分自身の成長にもつながっています。
大人になった今、勉強や河合塾での学び、大学生活、遊んだ日々でさえすべてが無駄ではなかったと感じています。そのどれもが今の自分をつくるために必要な経験だったのだと、心から思えるようになりました。迷ってもうまくいかないことがあっても、自分の気持ちに素直に向き合い続けることで必ず自分の進むべき道が見えてくるはずです。自分で選んだ道はちゃんと正解になります。
1.『アリスとテレスのまぼろし工場』 ©新見伏製鐵保存会
2.『忘却バッテリー』 ©みかわ絵子/集英社・KADOKAWA・MAPPA
3.『とんでもスキルで異世界放浪メシ』 ©江口連・オーバーラップ/MAPPA/とんでもスキル
愛知県立芸術大学 日本画専攻卒業
2015年度 基礎高1・2年専科/2016年度 日本画専科/2017年度 日本画本科
時習館高校出身
人間力も磨かれた気がします。
河合塾の先生方から言われた「観察眼を鍛えなさい」という言葉を今でも大切に制作を続けています。
ぼくが河合塾に入塾したのは高校二年生の春からでした。一つ上の先輩方と一緒にデッサンや塑像をし、平日は旭丘の美術科にて学ぶ美術三昧の日々。そんな贅沢な体験をしながらも超えられない河合塾の先輩方にあこがれて、どうにかうまくなりたいの一心で我武者羅に頑張っていました。授業後に預かり作品が収蔵されている倉庫にこもってにらめっこなんかして。でもうんともすんともうまくかけないため、ある日の授業終わりに今村先生に「どうやったらデッサンうまくかけるようになれますか?」と訊いてみました。すると「丹羽はデッサンだけがうまくかける人になりたいのか?」と当時の自分にクリーンヒットする言葉を投げかけられたのを今でも覚えています。
日ごろ「よく見て、よく動いて観察しなさい。観察力を鍛えなさい。」と指導されていたにもかかわらず、うまく描ける方法ばかり考えてしまっていました。そんな自分を改め、観察眼を鍛えることに徹底し、受験まで駆け抜けました。河合塾での2年間で造形力やデッサン力はもちろん、人間力も磨かれた気がします。
無事に金沢美術工芸大学に現役合格し、学年は同じだけど年齢がさまざまな同級生と4年間、大学院の2年間を過ごしました。皆で自己表現という壁と向き合い、ともに切磋琢磨した日々はかけがえのないものです。
卒業後、在学中の活動が認められ、同大学助手を務めた後、現在は同大学の石材加工機械室技術専門員として勤務しています。アートコンペや個展、国内外のグループ展に参加していく中で、作品によってさまざまな人と出会えることが一番の楽しみであり、やりがいです。今でも、石彫作品で何ができるか、自分が表現できることは何だろう、と常日ごろ広い視野をもって制作に励んでいます。
金沢美術工芸大学 大学院美術工芸研究科彫刻専攻修士課程修了
2011年度 彫刻日曜専科/2012年度 彫刻専科
旭丘高校出身
デザイン・工芸専攻
日本デザインセンター デザイナー
鳥本 優衣 さん
デザイン・工芸専攻
ペインター、デザイナー
吉野 マオ さん
美術総合・京都市芸大専攻
陶芸作家
橋本 きおな さん
信念を持ち続け制作を継続していくことが大事
河合塾で学んだ造形の基礎やデザインに対する姿勢は、社会人になった今でもとても役に立っています。特に、受験課題を通してみえてきた自分の強み、弱点は現在でも仕事をするうえで意識していることがあります。
私は、大学に合格するまで4年かかってしまいました。アルバイトで塾にいくお金を稼ぎ、4浪目は思い切って志望校を変え日曜日の授業に通っていました。何度か受験をあきらめそうになりましたが、周りの人の支えがあって合格しました。振り返ってみると、人生の中で、実は止まっているようにみえて自分の中にいる何かと戦っている、みつめているような時間がきっと将来の糧になるのではないかと思っています。河合塾や大学で過ごす日々は、自分と向き合うまたはやりたいことを見つける、生涯の友に出会うといった大切な期間であり、後ろを振り返るとあんなに苦しかった毎日が宝物のように思えます。あのときひたむきに頑張っていた自分に、背中を押されることもデザイナーになった今、たびたびあります。
たくさんの物事を吸収してじっくりと美しい感性を育てていくのには、美大芸大は最適な環境だと思います。その環境にたどり着くまでには、苦悩の連続だと思いますが、信念を持ち続け制作を継続していくことが大事なのではないでしょうか。受験という戦いの中にいると、評価されることがすべてと錯覚し手を止めてしまいがちですが、どれだけ真剣になれたか、どれだけ過去の自分を超えられたかだと思います。さまざまな障壁を乗り越えた先には望んでいた環境が待っているはずです。花が開く瞬間は人それぞれです。感謝の気持ちを忘れずに、焦らず、自分の道をつくっていく感覚で頑張ってください。道は必ずどこかにつながっていると今も信じてデザインに向き合っています。
愛知県立芸術大学 デザイン専攻卒業
2016-2018年度 デザイン・工芸本科/2019年度 デザイン・工芸日曜専科
加納高校出身
先にあるたくさんの可能性に目を向けてあげる。
河合塾では工芸クラス、東京藝大では陶芸研究室に属していました。卒業後、東京でデザイン会社MELTedMEADOWをパートナーと立ち上げ、2年間アートディレクションなどの活動をしました。その後、新しいフェーズとして個人の絵の制作に集中したいと思い、岐阜の田舎にアトリエを移しました。現在は、個展の開催が主で、並行してクライアントワークの制作も行っています。その時々にやりたいこと、やるべきことを見つけて、順番にやってきました。
予備校も、大学に入ってからも、専攻決めや就職または作家活動するのかといろいろな選択を迫られますが、最初からやりたいことが一つに決まっていなくても大丈夫です。自分の道を決めつけず、広い視野を持って、その先にあるたくさんの可能性に目を向けてあげることが大事だと思います。2年前まで、自分が絵描きになると思っていませんでしたが、今は自分は絵を描くべき人だと確信しています。
受験のための日々は、うまくなった、うまくいかないに集中してしまいますが、合格した先に、卒業後に、素敵な人たちと会えて、想像できないくらい楽しいことが起こるかもしれない!とこれから起こることを楽しみにしていてほしいです。応援しています。
1.個展 h・y・m・n(下北沢アーツ/東京)
2.COMME des GARÇONS GIRL 2024SS コレクション
3.ペインティング “GIFT”
4.店舗のデザイン(名古屋)
5.広告のためのカリグラフィー制作
東京藝術大学 美術研究科工芸専攻陶芸研究室修了
2012-2013年度 基礎高1・2年専科/2014年度 デザイン・工芸平日専科/2015年度 デザイン・工芸本科
金城学院高校出身
自分と、そして焼き物と向き合い続けた大学生活
小さい頃から絵を描いたりものづくりをすることが大好きだったので、大学で芸術について学べたらどんなに幸せだろうと思い、美大受験への挑戦をはじめました。実技試験対策のために河合塾に通い始めたのですが、本科生の頃に体験した漆工制作の課題から工芸に興味を持ち、工芸科を志望しました。元々専科生の頃は美術科志望だったので、自分の人生にとっても大きな分岐点となった授業でした。
京都市立芸術大学では1回生の後期にある工芸基礎実技にて、染織、漆、陶磁器の課題をそれぞれ受けた後、2回生からの専攻を自分で決めることができます。どの素材も魅力的でとても悩みましたが、土の可塑性からできる自由な造形と、焼き物のもつ多彩な表情に強く惹かれ、陶磁器を専攻しました。陶磁器専攻での授業では、自分が素材を扱う中で感じたこと、気づいたこと、焼き物で表現するという本質そのものについて考えさせられるような、深く幅広い視点からの指導を受けることができました。もちろん悩むこともたくさんありましたが、そのお陰で大きく成長できたと思っています。
そして自分が考える焼き物の魅力や新たな表現について、もっと深くじっくり研究したいと思い、大学院に進みました。大学院では「絵画と焼き物」という自分の好きなこと2つを組み合わせたような表現を研究テーマにしていました。そして大学院を修了した今でも、表現を模索しながら陶芸作家として制作を続けています。京都市立芸術大学の陶磁器専攻は、既存の焼き物やそのあり方にとらわれず、焼き物の本質と向き合い考える場として、とても充実していました。芸大を志す皆さんにも、ぜひ自分なりの考え方や表現を見つけて頑張っていってほしいです。応援しています!
京都市立芸術大学 美術研究科工芸専攻陶磁器細目修士課程修了
2016年度 京都市芸大平日専科/2017年度 京都市芸大本科
昭和高校出身
油絵専攻
アーティスト
川角 岳大 さん
日本画専攻
東京芸術大学教育研究助手
古山 結 さん
彫刻専攻
沖縄県立芸術大学 彫刻専攻 助教
中島 聖二郎 さん
世界が大きく広がっていく自由な感覚を覚えました。
僕は現在、山奥の畑のある家でその日食べる野菜を育て、肉や魚も季節に合わせながら自分で獲ってきて食べるという生活をしています。その合間の時間で毎日少しずつ作品もつくったりしています。こんな生活を今の自分がしている想像は、高校生の僕の頭の中にはひとつもありませんでした。
ある授業の日に先生が自分の持っている画集の中からいくつか持ってきて、それをみんなで見るという日がありました。英語で書かれた文字は読めなかったけれど、まったく意味のわからないその本はとてもかっこよく見えて、そこに載っていた作品たちにとても魅力を感じました。そのわからないけれど美しいものたちに惹かれ、理解できない謎があることに、世界が大きく広がっていく自由な感覚を覚えました。
そんな風に触れた当時の先生の言葉や同級生の作品たち、通学路で考えたことすべてが新鮮で、頭の中に初めての疑問が現れることにわくわくする日々でした。そのときに気づいた興味やちょっとした癖、それらが形を変えて、少しずつ関係しながらいつの間にか今の暮らしになっていました。でも高校生の自分はそんな癖や興味を目に見える形で表現することに抵抗があって、避けたり見て見ぬふりをしたりしていました。今となっては、それをそのままキャンバスに表してやれば良かったんだなと思うけれど、それができるまでに、僕の場合は時間も経験もまだまだ必要でした。
人それぞれ必要な道筋や時間は違うと思います。今はまだ表すことが難しくても時間がたてば適当に何かに変化していくから、今はその小っ恥ずかしいけどわくわくする小さな興味をできる限りいっぱいに広げておく。後々になればそれを拾う機会があるんだと思います。そしたらきっと知らないうちに思いもよらない場所にたどりついたりするのかもしれません。
東京芸術大学 大学院美術研究科油画専攻修士課程修了
2008年度 基礎高1・2年専科/2009年度 油絵日曜専科/2010年度 油絵専科
旭丘高校出身
糸口を見つけて門戸を叩いていく姿勢を、河合塾で学ばせていただいたように感じています。
河合塾では浪人の2年間と、高校3年生の後期にお世話になりました。現在は、出身大学で教育研究助手をしながら、作品制作・発表を行っています。
私は高校入学時に、美術科のある高校への進学を決めましたが、その時点で、大学進学やその後の展望について明確に考えられていたかとういうと、そんなことはありませんでした。美術は、職業として成立しづらい側面を持っていますし、当時は作品を売って生きていくことなど想像できていませんでした。
大学への進学は、制作に打ち込む時間の確保を筆頭に、さまざまな面で現在の活動への足がかりとなりました。なかでも制作への刺激や美術を取り巻く環境に関する知識を得る機会を持ったということは、大きな手助けだったと思います。「作品をつくりたい」と思っている人たち(クラスメイトや教授、先輩など)と、「作品を広めたい」と考えている人たち(ギャラリストや学芸員など)、そのどちらともかかわりを持てる場は貴重でした。授業や制作のみならず、大学生活で起こることすべてが学びの対象でした。
浪人当時の河合塾の授業は、受験対策に必須なものだけでなく、対象への多角的な視点を育むための実技演習や、作家研究、時には外へ飛び出して、美術館見学などの課外授業、団体でのスポーツ大会やキャンプなども行っていました。そういった、一見不要に見える活動の中で、「絵を描くことの周り」について、認識を深めていったような気がします。
大学進学・卒業後、社会で得られるさまざまな機会は、必ずしも誰かから提供、供給されるものではありません。それでも、何か糸口を見つけて門戸を叩いていく姿勢のようなものを、河合塾での浪人時代に学ばせていただいたように感じています。
1.「往来」2023/51×69cm/岩絵具・水干絵具・膠・雲肌麻紙・木製パネル
2.「また萌ゆ」2023/130.5×162.5cm/岩絵具・水干絵具・膠・下地材(μグラウンド)・木製パネル
3.「murmur」2023/72.5×72.5cm/岩絵具・水干絵具・膠・下地材(μグラウンド)・木製パネル
4.「ここから先は あなたの庭」2023/19×30.4cm/岩絵具・水干絵具・膠・下地材(μグラウンド)・木製パネル
5.「予感が始まる」2023/10.2×18.5cm/岩絵具・水干絵具・膠・下地材(μグラウンド)・木製パネル・クレヨン
6.「枝が降る」2023/41.2×33.5cm/岩絵具・水干絵具・膠・下地材(μグラウンド)・木製パネル・繰形
東京芸術大学 大学院美術研究科美術専攻日本画領域博士後期課程修了
2010-2011年度 日本画本科
東邦高校出身
ものづくりの楽しさを感じました。
私は小さなころからものをつくることが好きで、時間があれば常に何かをつくっていました。
河合塾に入塾してからは、日曜日がくるのが楽しみで毎週ウキウキした気持ちで通っていました。
中学3年生になり美術高校への進学を迷いましたが、「楽しい」という気持ちだけで美術を続けていけるのか不安になり、普通科の高校へ進学しました。しかし、美術(ものをつくる)の楽しさを忘れることができず、基礎高1・2年クラスへ入塾しました。そこで、日本画、油画、彫刻、デザインを一通り経験し、今までデッサンや色彩構成しか経験していなかった私にとってどれもが新鮮でとても楽しかったのを覚えています。
その中で一番楽しかったのが彫刻でした。
高校3年生になり、美大に進学することを決意し彫刻専科に進みました。
が、、、そこで待ち構えていたのは、自分のデッサン力の無さでした。それまでは「楽しい」の気持ちだけで行ってきた制作が「受験、試験」という「楽しい」の気持ちだけではどうにもできない壁にぶち当たりました。自分とは比べ物にならない程のデッサン力のある先輩や同級生に囲まれ、デッサンコンクールではいつも最下位。
それでもあきらめずに続けられたのはともに頑張った同級生や楽しく指導してくださった先生方のおかげです。
いよいよ受験、そして結果は惨敗。
浪人をすることができなかったため、滑り止めで受かっていた名古屋造形大学に進学することになりました。大学入学後は夜遅くまで大学に残り制作に励みました。卒業後は沖縄県立芸術大学の大学院に進学しました。
慣れない土地での制作活動はまるで河合塾で初めて彫刻を経験したときのように楽しく、改めてものづくりの楽しさを感じました。その気持ちを糧に大学院では国内はもちろん、海外の展覧会にも積極的に参加し、その成果が認められ、沖縄県立芸術大学の教育補助専門員として勤めさせていただきました。また、専門員期間中も積極的に個展やグループ展に参加し、今は同大学の助教を務めております。
河合塾では、デッサンなどの技術はもちろん、どんなところでも制作を続けていけるようなハングリー精神も学べたと思っています。
苦労はありましたが、河合塾で学んだことは今の自分にとってとても実のあるものでした。
沖縄県立芸術大学造形芸術研究科 環境造形専攻 彫刻専修修了
名古屋造形大学造形学部造形学科 彫刻コース卒業
2009-2010年度 基礎高1・2年専科/2011年度 彫刻専科
北高校出身
デザイン・工芸専攻
コクヨ株式会社 インハウスデザイナー
岡 真奈美 さん
デザイン・工芸専攻
文化学園大学 金工研究室 助教、彫金作家、ジュエリーデザイナー
水谷 奈央 さん
美術総合・京都市芸大専攻
住宅設備メーカー 広告クリエイティブ職
浅野 未華 さん
将来の土台になると思います。
大学ではデザインのやり方や方法論を学ぶというよりは、いろんな人の作品はもちろん、考え方やものの見方、生き方を学んだというのに近かったです。
みんな自分の世界を持っていておもしろい人たちばかりでした。その人たちに出会うためだけでも美大に行く価値はあると思います。
大学を卒業して社会に出て、ありがたいことにデザイナーとして仕事をしていますが、やっていることや考えていることの根本は受験生として課題に向き合っていた頃とあまり変わらないなと感じます。
今やっていることが必ず将来の土台になると思うので、受験勉強だと思わずに取り組んでみてください。例えば参考作品を見るのも大事ですが、世にあるデザインや作品をたくさん見たり実際に体験する機会をもっと増やしてみてください。そして自分の好きだと思えるものを追求してください。
苦しい日々だとは思いますが、応援しています。
1.学生時代の作品「都市copy and paste」都市をパターンに見立てたグラフィック作品
2.学生時代の作品「Trash▷Jewel」ゴミを宝石にできないか?という仮説から始めた実験作品
3.学生時代の作品「ma.」「ぼんやり過ごす時間」を生み出すオブジェ群
東京芸術大学 デザイン科卒業
2014年度 デザイン・工芸日曜専科/2015年度 デザイン・工芸本科
桑名高校出身
表現において一番大切な基礎を学びました。
河合塾で過ごした2年半は私にとっての原点です。私は現在、大学で教員をしながら作家活動をしています。好きなことを仕事にすることは大変な道のりです。自分の弱さと向き合って、受験を乗り越えたことが自信になり、今の私を支えています。ものの捉え方や考え方、感じ方など、表現において一番大切な基礎を河合塾時代に学びました。現在の仕事においても迷い悩んでしまったときは、受験期に先生方に教えていただいことや当時の気持ちを思い出し、初心にかえることがあります。
今思い返してみると、10代の感受性豊かな時期に一つのことに没頭できたことは、とても贅沢なかけがえのない時間であり、そんな環境に身をおけたことに感謝しています。受験では自分に向き合い、自分の強みに気づき、力を出し切ることが大切です。これは大学受験だけでなく、その先の人生においても必要なことです。
投げ出したくなったり、描くことが嫌いになったりすることがあると思います。受験生の皆さんは今とても辛いと思いますが、自分の夢に向かって悔いのないように乗り越えてほしいです。応援しています。
東京芸術大学 美術研究科工芸專攻彫金研究室修了
2007年度 基礎高1・2年専科/2008年度 デザイン・工芸平日専科/2009年度 デザイン・工芸本科
瑞陵高校出身
卒業制作の経験が大きな自信につながりました。
幼い頃から絵を描いたり物づくりをしたりすることが好きで、将来はそのようなクリエイティブな仕事がしたいと思い美大を志しました。志の第一歩として入った河合塾は、美術の基礎を学びながら自分とじっくり向き合える場でした。
大学入学後はビジュアルデザイン専攻に進み、非常に幅広いデザインの課題に取り組みました。卒業制作では、地元の伝統工業を使ったブランドづくりに挑戦しましたが、現地への取材、コンセプト立案、プロダクト・ビジュアル制作を一貫して行った経験は自分の中で大きな自信につながりました。制作に取り組む中で、「人の暮らしを豊かにできるデザイン」がしたいと思うようになりました。このような背景があり、現在は人の暮らしに欠かせない住宅にかかわる会社で、広告制作のディレクションをする仕事をしています。自社製品のコンセプトや想いを背負いユーザーに伝える仕事は、大学でのデザインの経験が役立っていると感じています。
のびのびと制作できるようサポートしてくださった先生、切磋琢磨した友人たちと過ごした時間はかけがえのないものです。
京都市立芸術大学 ビジュアルデザイン専攻卒業
2018年度 総合本科
桑名高校出身
メディア映像専攻
CGアニメーター
坂野 友軌 さん
油絵専攻
美術家
碓井 ゆい さん
日本画専攻
画家
阪本 トクロウ さん
今の自分を支えるもの
この半年くらいは自主制作しかしておらず、CGアニメーターを名乗ってよいのか怪しくなってきました。仕事には仕事なりの辛さがありますし、自主制作もまたしかりです。自分が選んだ人生を後悔した回数は数え切れませんが、それでも、個人作品の画像や、関わった商業作品のタイトルを見直していると、今の自分が、今まで作ってきたものに支えられていることに気づかされます。
何かに打ち込むことは、その結果に関わらず、後の自分を支えてくれるものと思います。今のところ、作ることをやめる予定はありません。
CGアニメーターとしての参加作品
・TVアニメ『TRIGUN STAMPEDE』1話、6話、最終話
・TVアニメ『BEASTARS』22話、24話
・TVアニメ『宝石の国』3話、10話
など
◆X:twitter.com/beadschain
◆YouTube:youtube.com/c/beadschain
◆Website:bannoyuki.com
武蔵野美術大学 映像学科卒業
2008年度 高校グリーンコース生、河合塾美術研究所冬期・直前講習受講
明和高校出身
良い作品が出来たときの喜びは何ものにも変え難い
中学生の頃から漠然と、美術大学に行きたい、と考えるようになり、高校一年生のときに日曜日の基礎専攻に通い始め、その後油絵科で一浪して合格するまでお世話になりました。
毎日の課題と指導してくださった先生方のことだけではなく、仲の良い友人と廊下に座り込んで喋ったり、海外の展覧会を見てきた講師の先生に話を聞いたりと、色んな思い出があります。
あの頃は日々一枚の画面を仕上げることで精一杯で、でもとても楽しかったように記憶しています。
今は、受験、という目標がある上での制作ではあると思います。でも、鉛筆と木炭どちらが好きか、油絵具をどう画面に乗せていけば伝わるのか、など、手と素材を通して考えたり発見したりするいう点では、受験以降の作品制作と同じことを、もう始めていると言えると思います。
もちろん楽しいだけではなく、ときにはもどかしく苦しいこともあると思いますが、良い作品が出来たときの喜びは何ものにも変え難いはずです。
受験生のみなさん、頑張って下さい。
東京都立国立高校卒業
多摩美術大学美術学部絵画学科卒業
京都市立芸術大学大学院美術研究科修了
今の仕事について
現在生きているこの世界を私たちはどのように見ているのか? という視点、眺め。現在生きている世界の感触、空気。そういったものを作品化しています。その作品をギャラリーで発表し、作品を売ってもらい生活しています。普段はアトリエで制作し、たまに展覧会を観に行ったり、取材に出かけたりします。
今に至る経緯
大学を出てからは、画家のアシスタントをしながらギャラリーを借りて発表していました。コンクールなどにもいくつか出品しました。アシスタントをさせてもらっていた画家の方からギャラリーを紹介してもらったり、個展を観に来てくれて作品を気に入ってくれたギャラリストの方の誘いを受け、展示をさせてもらったりしています。大学に行くと色々な作家とつながりが持てます。そのつながりで作家活動ができているとも思っています。
河合塾時代
浪人中は休みなく描いていましたが、目標も明確でとても濃密で充実していた時間でした。うまくいかず停滞していた時は辛かったですが、夏期講習の終わりくらいに色々とかみ合って飛躍的に上達した成功体験は、現在の制作にも良い経験になっています。予備校では講師との距離が近く、美術作家としての、ものの見方や考え方により実感をもって接することができたのも良かったです。コンクールなどで1番から最下位まで順位を付けてしまうようなことも好きで高揚していましたね。コンクールはなんとか1番になりたいなぁと思っていました(でも、一度も1番にはなれなかった…)。
受験生へのメッセージ
作品のうまくいっていないマイナス面を改善しても、合格するのは難しいのではないかと思っています。自分の絵の良いところを見つけてそれを伸ばすほうが効果的だと思います。作品のどこを観てほしいかという魅力的なものを作るということと、何より一番大事なのは自信を持つことでしょう。得意なものを伸ばして得意技にして、その得意技で勝つというのが近道だと思います。(講師の先生に色が汚いとか、形が悪いとか、構図が悪いとか…色々言われると思いますが、それもきちんと聞いておきましょう。ある瞬間に急に理解できて役に立つことでしょう。)
1999 東京芸術大学卒業
2001 早見芸術学園日本画塾卒業
2005 大木記念美術家助成基金成果発表展(山梨県立美術館)
2006 第3回東山魁夷記念日経日本画大賞展(ニューオータニ美術館)
2007 東京コンテンポラリーアートフェア(東京美術倶楽部)
2007 ART Shanghai2007(上海世貿商城)
2008 VOCA2008(上野の森美術館)
2009 アートフェア東京(東京国際フォーラム)
彫刻専攻
彫刻家
保井 智貴 さん
デザイン・工芸専攻
画家
池田 学 さん
先端芸術表現専攻
アーティスト/映像作家
石原 海 さん
今の仕事について
私の仕事は、アーティストとして彫刻を制作して、ギャラリーや美術館などで展示をしています。私の作品は、静謐な空間をイメージして、乾漆という日本古来の伝統的な技法で、漆、麻布、石、螺鈿などの自然素材を中心に、人物や動物などをモチーフにして制作しています。
今に至る経緯
大学院の修了制作展で展示した作品がきっかけで、展覧会の企画や画商さんからの依頼があり、新作を制作し展覧会を行ったことで、私のアーティストとしての活動が始まりました。展覧会を重ねていくうちに、作品を通して、国内外の美術関係者、アートコレクターや一般の美術ファンとの出会いが増え、作品が売れ、いろいろなジャンルの方と仕事ができるようになり、アーティストとして認められるようになりました。
河合塾時代
河合塾時代は、美術を通していろいろなものを見たり、考えたり、自分のやりたいことを真剣に始めた時期でした。個性的な人たちがいる中で、自分なりの表現をするのが毎日新鮮でした。また、浪人時代は、受かるためという現実と、自己表現の理想の間に矛盾を感じ、とても悩んだ時期でもありました。20歳前後に、そういった経験ができたことで、今、社会の中で自分が表現したいことを続けていくための、大きな基盤が作れたと思っています。
受験生へのメッセージ
自分らしさを発見し、表現できるようになるには、たくさんの観察と、たくさんの失敗をしなくてはなりません。しかし、失敗をネガティブなことと捉えるのではなく、一つの発見として捉え、楽しめるようになれば、本当に自分らしい表現が見えてくると思います。
1974 ベルギー、アントワープ生まれ
2001 東京芸術大学大学院修士課程修了
2006 アート・イン・レジデンス The Jerusalem Center For The Visual Arts(エルサレム)、ポーラ美術振興財団より国際交流助成を受ける。
2005年に第34回中原悌二郎賞優秀賞受賞
受験生へのメッセージ
受験に限らず、目の前のいろいろな不安とか、どの時期にもあると思うけれど、今自分が作っている一枚の絵に集中することが一番大事で。いろいろ考えても先のことはわからない。はっきりわかっているのは、今作っている作品に魂を込めなければいけないってこと。ひとつひとつの作品に集中して、自分が凄くいい作品ができた、やった! と思えるかが一番大事だと思います。それは何においても自分が一番大事にしていることです。
東京芸術大学大学院 デザイン科 修了
1993年デザイン・工芸専攻 本科
県立佐賀北高校出身
死ぬ直前に河合塾を思い出すかもしれない
本当は映画が勉強したかったのだけど、とにかくお金がなかったので、映像制作が学べる国立大学を探していて先端科を見つけました。その経緯で現代美術と出会い、自分の中にコンセプチュアルな要素を大切にする文脈ができたので結果的には悪くなかったと思います。あとは伊藤俊治さんの本をよく読んでいて、この教授に学びたいなと思ったのも大きなきっかけでした。20世紀エロス、裸体の森へ、聖なる肉体、本のタイトルがまずかっこよすぎ。
映画からヴィデオインスタレーション、写真や執筆といったジャンルをまたいで作品制作をしながら、広告の仕事もしています。河合塾で学んでいたとき松田先生に「いつかはシャネルとかルイヴィトンの映像が撮りたい」って言ったら「そんなことは数年後にできるようになってるから、それよりも作品について考えろ!」とか適当なことを言われた記憶があるのですが、確かに数年後にシャネルとかルイヴィトンの映像を作ることができました。そしていまだに松田さんの言葉を胸に、広告とはかけ離れた作品制作も日々がんばって作っています。
死ぬ直前に河合塾を思い出すかもしれない、というくらいかなりインパクトのある経験でした。高校生の時はこの世に存在する大人、特に先生っていう存在をなんなら嫌悪していたのだけど、河合塾の先端の先生たちがそれを塗り替えてくれた。知らないことを人に教えてもらうということが最高なことだっていうのもこの場所で知りました。あと、新宿にあるから授業終わりに街をぷらぷらするのも楽しかった。いまでも河合塾での熱狂の一年が自分の人生の重要なところにあります。
アーティスト/映像作家
2012年 先端芸術表現専攻(在籍)
東京藝術大学 先端芸術表現科卒業
基礎専攻
株式会社TBWA\HAKUHODO
*博報堂から2019年現在出向中
梶川 裕太郎 さん
始めは“とりあえず”でもグラフィックデザイナーに!
絵は上手くないけど「なにかものづくりがしたい」という大雑把な目標から、高校2年の時に基礎専攻に通い始めました。基礎専攻の時は、グラフィックデザインから建築まで幅広いジャンルに主体的に触れることができたので、そのおかげで「グラフィックデザイナーになりたい」という一つの目標を持つことができました。美術の世界に行く人は、最初から大きな夢がある人とは限りません。とりあえずいろんなものに触れてみることで、自分の可能性を広げられる場所に出会えると思います。
東京・東京農業大学第一高校出身