自分の可能性と向き合う。
「日本画」という言葉から、皆さんはどんなイメージを描きますか?
日本の風土や自然観、心情や感性。日本画の顔料や墨、和紙といった素材。皆さんが何に興味を持ち、どんな絵を描いていくのか…。日本画はそんなさまざまな可能性に応えてくれます。
日本画専攻では、物をよく観察することを大切にし、基礎から応用へと段階的に身につけていきます。自分の可能性と向き合う1年は、一生の記憶に残る充実したものとなるでしょう。
東京芸術大学
日本画専攻
旭丘高校出身
私は1浪した1年の間で満足いく絵は描けませんでした。完成しなかったことや、自分ではうまくいったと思っていてもそうでもないこともあります。でも、この1年間は“失敗をしていい” 1年間だと思います。そこでの失敗は、必ず本番につながります。だから、自分の絵から「学ぶ」ことをあきらめないでください。自分の絵が自分の本気から生まれていることを忘れないでください。そんなあなたを私は心から応援しています。全力で。
愛知県立芸術大学
日本画専攻
名古屋造形大学
映像文学領域
東邦高校出身
私が河合塾でよかったな、と思うことは、生徒一人ひとりをよく見てくれることです。どんな些細なことでも親身になって話を聞いてくれます。自分が絵のことで悩んでいる時もよく助けてもらいました。自分一人ではなかなか解決策が見つからない時もあるので、とてもありがたかったな、と思います。辛いこともいっぱいあると思いますが、あきらめないで頑張ってください!
金沢美術工芸大学 大学院美術工芸研究科絵画専攻修士課程修了
1995年度 日本画専科
緑高校出身
はじめまして、岩田壮平です。現在、作家活動と大学の教員をしています。河合塾で学んでいた当時、高校3年生でしたが、私は絵を描き始めたのが高校2年生の冬期だったか3年になる春期だったかの講習からでした。受験生のときは専科で学びましたが、たくさんいる周りの仲間に比べ私は絵が下手くそで、にも関わらず負けん気だけは強かったように思います。
東京芸大も愛知芸大も多摩美大・武蔵野美大も受験しましたが落ちてしまいました。ただ唯一、金沢美大に合格し、悦び勇んで金沢での大学生活が始まったわけです。
大学在学時代は土地柄もあり、古美術や美術工芸が当たり前のように身近にありました。しかし大学での制作に至っては、それよりも海に潜ったり釣りや投網に凝ったり冬はスキーばかりをしていました。大学は実技の授業のほかに学科の授業もありましたが、ほぼ遊んでいた思い出しか…ありません。
大学時代、制作に関してもちろん何も描いていなかったわけではなく、絵を描くことは好きだったので、気が向いた時間に好きなものを描いていました。
最近の大学の授業は、どこもしっかりと先生が教室を周り、学生とコミュニケーションをはかりつつ指導をしてゆくのが当たり前となりましたが当時は、先生方も緩やかであまり指導らしい指導をするというよりも、先生と生徒が一緒になって遊んでいたように思います。日々、先生と一緒に釣りをしたり、ときにご飯を奢ってもらいながら、互いに他愛もない話をする毎日がそこにはありました。
そのような中でのある日の会話のやり取りが一つ。先生と一緒にご飯を食べながら、こう尋ねたことがありました。
「私は大学を卒業したあと、作家になることはできるのでしょうか?」と。
そんな漠然としたことをふと先生に聞きました。その応えは、
「そんなこと、私にはわからない。わからんが、神様がお前に絵を描き続ける道を授けるのならば、ちゃんとその道に進むだろう。が、しかし神様がお前にそれ以外の道でもっと素晴らしい道がある。そちらへ進む方が幸せだ。とご判断されたら、きっと自然にそちらへ進んで行くだろう。だから、そんなことを考えるよりも描くことが好きだったら、いまは一生懸命それをやるしかないだろう」と、…。
他にも先生との対話はあるのですが、その中でもとくに印象深く、このときの言葉はいまもなお事あるごとに思い出されます。悲しいとき、嬉しいときも、その言葉を思い出しては、「大丈夫!自分はきっとこれで大丈夫」と、言いながら自らに起こるできごとを受け止めつつ今までやってきたように思います。
現在、大学で教員をしていますが、学生達と接するたびにさまざまな将来の不安と悩みを聞きます。その都度にこのエピソードを交えて伝えています。
“先のことは確かにわからない、でも大丈夫!いまどんなに劣勢で不安があっても、幸せ過ぎてかえって不安になっても、なんにも無いから不安であっても、大丈夫。きっと、目の前のことが好きで一生懸命になれたら、ちゃんと自らの道は開かれる” ってね。
ベーシックな指導から各自の個性を生かしたゼミまで、さまざまなカリキュラムを実現するスタッフです。
過去10年間で東京芸大32名、愛知芸大72名の合格者を輩出しています。